「ていねいに生きる」ってなんだろ
それを言われると、へへーー、申し訳ございません、お代官様。
って思ってしまう言葉。
それが「ていねいに生きる」です。
私は、本当に「ていねいに生きる」という言葉に弱い。
旬の食材を使って愛情こめた料理
季節のうつりかわりを愛でる行事
厳選されたものに囲まれた住生活
数日前までにはアップしてゆとりを持って見直す原稿……
全部、ダメだ。全部、無理ーーーー。
うう。神様、いつもせわしなくて、ごめんなさい。
お代官様もごめんなさい。
死ぬ間際まで私のがさつさを心配していた、おばーちゃん、ごめんなさい。
昨夜、お月見のお団子を(お団子なのかな、あれ? それすら知らない)
お子さんと作って中秋の名月を楽しんでいる投稿にため息をつき
粘土遊びをしたがる子どもを夫にまかせて
ぜんそくで休んだ分、遅れちゃった原稿を叩いてた。
ときどきFacebookを開いては、友人たちの風流な写真を見ながら。
いまはちょっと楽しすぎて
いまはちょっとのめり込ませて
そのうちゆっくりするから
そのうち落ち着くから
そういいながら、ずっとこうやって
時間をかきわけるように前に前に進んでいくんだろうか。
それともいつか、体力がついていかなくなって
自然とペースダウンしていくんだろうか。
そもそも、ペースダウンすると「ていねいに生きる」ことは相関性があるんだろうか?
もっとメンタル的な問題なんだろうか?
「ていねいに生きる」には、素質が必要なんだろうか?
「ていねいに生きる」ってなんだろう。
と、思いながら、そんなテーマの書籍を担当しています。
取材で伺えることと、自分自身の歩みがリンクしながら進んでいくのも、この仕事の面白いところ。
本当はお金を出さないと聞けないような素晴らしい話を目の前で聞けるのが、本当にエキサイティングでセクシーです。