作品を見るか、作品の「見せ方」を見るか、デザイナーの人生を見るか 「紙片の宇宙」@ポーラ美術館
夫と息子氏と、二度目のポーラ美術館。
美術館や、個展にいくたび感じるのだけれど、デザイナーの夫はいつも、作品そのものを見ていて、編集兼ライターの私はいつも、その作品の見せ方(キュレーション)と作家の人生ばかり見てる
どうしてスーラは点ばかりうち、かつ、妻子がいることを友人の誰にも伝えず若くして亡くなっていたんだろうとか、ね。
気になって仕方ないわけです。
スーラ、大好き。左はレオナールフジタ氏の猫の散髪の絵。こんな絵、描いてらっしゃったんだなあ。ロートレックとレジェの挿絵もとても良かった。
ジョアン・ミロの作品は、はじめてゆっくりみたけれど、「本とは大理石から掘り出す彫刻の尊厳を持っていなくてはならない」という言葉を残していて、ライターとしては背筋がのびます。
今回の展示は、書籍の装丁の展示、かつ、本来のキュレーションに加えて麻生ハルミンさんの書きおろし感想が添えられていて、とてもなじみが深かった。
アートに対して、興味を持ってもらいたいという、ポーラ美術館の全力の意志を感じました。
「じっくり」(じっくり絵画を見て欲しいという企画)のコーナーでは
同じ絵を、
パリの夏の夕暮れの光と、
ノルマンディの冬の朝焼けの光と
南フランス 春の午後 の
3種の光を当てて比べてみよう、という企画で。
絵は、本来、美術館のためではなくもっと個人的な相手に向かって描かれたものであり
そして、ひとつの絵の表情は、幾多通りもあるということを身体性をもって感じました。
こういう仕掛けがあると、絵画がもっと身近になるし、鑑賞ではなく「体験」になるなあ、と、編集兼ライターとしては、ハッとします。
ポーラ美術館。
いい美術館だなあ。
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