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横山のおばちゃんのこと

いま、岐阜に向かっています。

 

昨日は横山のおばちゃんのお通夜、
そして今日は告別式でした。

おばちゃんは、ソフトテニスの業界では知らない人はいない方で
数々の世界チャンピオンを輩出した実業団の寮の寮母さんでもあり、
業界の最大の理解者であり、そしてスポンサーでもありました。

 


今日の告別式にも、テニス関係者という受付があり、
おばちゃんのご飯を食べて、毎日練習に向かっていた
かつてのテニスプレイヤーの方々が
最後のお別れをされていました。
上野の寛永寺で行われた立派なお葬式でしたが、
会場には全然人が入りきらず
私は二階の控え室で、おばちゃんに捧げられているお経を聞いていました。

 

国体の前の合宿や、実業団の試合に出る前には
私自身もおばちゃんの寮にとめてもらい
おばちゃんのご飯を食べました。
おばちゃんが寮母をつとめるナガセケンコーでは
利き手を使ってご飯を食べてはいけないというルールがあって
だから、私はおばちゃんの料理はいつも
左手で食べていました。
私が小学生だったときは「ゆみちゃんは右手で食べてもいいんだよ」と言ってくれていたけれど
あるときからおばちゃんは、「ゆみちゃんは右手で食べてもいいんだよ」と言ってくれなくなり、
それがなんだか、
世界大会で活躍している先輩のみなさんと同じように
ちゃんと選手として認めてもらったような気がして嬉しかった。

 

おばちゃんは、すごくお金持ちだったらしい。
なんとか会社という大きな会社の取締役で、
不動産をいっぱい持っていたと聞いたことがあります。
そういえば、私が東京に出てきたとき
「ゆみちゃん、おばちゃんの持っている部屋に住むかい?」と
言ってくださったこともありました。

 

でも私が知っているおばちゃんは、全然お金持ちっぽくなくて
いつも質素な格好か、そうでなければ、テニスウエアを着ていて
選手が大会に出るときは運動会のようにお弁当をつくってもってきてくれる
すごく気さくなおばちゃんでした。
いつも影で選手を支えているおばちゃんは、決して表に出て派手なことをしようとしませんでした。

 

告別式の会場には、おばちゃんと、
おばちゃんにお世話になった
たくさんの日本代表選手たちの写真が飾ってありました。
おばちゃんが使っていたラケットもあった。
そして
おばちゃんが使っていた名刺も飾られていたんだけど
その名刺には、テニスラケットのイラストが描かれていました。

 

さいごまできっと
たくさんの選手たちのことを思いながら亡くなったんじゃないかと思う。
テニス業界の今後のことを考えながら、逝かれたんじゃないかなと思う。

 

おばちゃんみたいな人生を歩きたい。

 

 

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