小器用に生きる 不器用に死ぬ
つかこうへいさんがお亡くなりになったという。
大学時代、
初めて観たつかこうへい劇団の(平栗あつみさんと山崎銀之丞さんのコンビだった)
『銀ちゃんが逝く』に衝撃を受け
北区の劇場に何度も行き、両国のシアターXにも通い
毎回アドリブが変わるから、同じ芝居を何度も観て、
お金がなかったから当日券を並んで買い、
つかさんの映画をビデオ屋で借り
著作はむさぶるように読んで、
しまいには、つかこうへい劇団のオーディションも受けた。
(もちろん、俳優ではなく、脚本家採用のほう)
最終面接で落ちたとき、
劇団の人に言われたことが
「君みたいな優秀で小器用な子は、芝居には向かないんだよね。
芝居って、暇で暇で仕方なくて、でも何かに飢えていて、他に逃げ場のない人間が作り出すものなんだ」でした。
つかさんの芝居は狂気に満ちています。
ぜったい放送できないくらいの差別用語やエロ用語がとびかい
人間のあらゆる欲望や哀しみや醜さや美しさが丸裸にされる。
口の中に指をつっこんで、のどぼとけをぎゅっとつかまれるような
そんな、苦しいけれど、
「いま、わたしは、ぜったい生きている」という体験を劇場全体で共有する
そんな激しい時間なのです。つかさんの芝居は
放送禁止用語がこれでもかってくらい連発されるんだけど
それは
なんでもかんでも安易に、
差別用語を無くせば解決にむかうって、
そんなうわっつらなことじゃあないんだよっていうメッセージだったようにも思います。
つかさんご自身は、誰よりも、
差別や偏見のない公平な世の中をのぞんでいらっしゃる人でした。
在日韓国人二世として生き、差別だらけの青春時代を生き、
そのペンネームは「いつか公平」からとったと
『娘に語る祖国』の中で明かしています。
ソフティスケートされた、さらっとしたさわり心地の世の中ではなく
触れれば切れるし、当たれば傷つく。
そんな中をもがきながらカッコ悪く生きていく。
その「生きていく覚悟」みたいな魂は圧倒的です。
「君みたいな小器用な人にモノは作れないよ」
その言葉も意味が、あれから10年たった私に重くのしかかります。
私はまだ小器用に生きてるなあ。
ああ、
そう。
『娘に語る祖国』は、本当に情の深い1冊でした。
もう何度も読んだ本だけれど
もう一度読もう。