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3月11日

一年前のこの日、私は切迫早産の治療が一段落し退院したばかりだった。
数週間東京で看病してくれた母が北海道に帰るので、
見送ろうとベッドから出たときのことだった。
今までの人生で一度も体験したことのない揺れ。
あわててテーブルの下にもぐり、大きなお腹をかばった。

テーブルの下で母が私をぎゅっと抱きしめてくれ、
多分20年ぶりくらいの抱擁だったと思うんだけれど
それで少し落ち着いた。
揺れはなかなかおさまらなくて、
ワイングラスが入ったガラスの食器棚を母が押さえようとするものだから
「そんなことはいいから、危ないから動かないで」と
大きな声を出したのを覚えている。
夫はたまたまプレゼンで訪れていた
SHIMAのオフィスで地震にあったらしい。
8階のオフィスはずいぶん揺れたそうだ。
嶋先生が、すぐに全サロンに指示を出され
その日のプレゼンは中止になったと、
表参道から徒歩で帰宅した彼は、後に話していた。

そのときは知る由もなかったけれど
東北はとんでもないことになっていた。
そして東北だけではなく
それから数日、いや数ヶ月は
東京のヘアサロンも、揺れていた。

ベッドから起きることができない私は
今すぐ駆けつけたい先がいろいろあったけれど
歯がゆい思いをしながら、
いつもの3倍の速度で流れる
Twitterのタイムラインをずっと見ていた。

大きな揺れと余震に気の休まる時間がないこと
親族や友人の安否がわからず気が気ではないこと
1人の家に帰るのが怖いこと
節電が言われる中で自分たちの仕事を続けていいのか悩んでいること

特に若いスタッフさんたちが
心を痛めていた。

そのとき書いたのがこのブログだ。
いま、ヘアサロンにできること
震災の2日後にこのようなことを書いていいのか
すごく迷いはあったけれど
でも、いてもたってもいられなくて書いたのです。

そして、その後、
この震災に対して、自分ができることは何なのだろう。
そんなことを、やっぱりベッドの中でずっと考えていたときに書き、
そして書いた後に気持ちが固まったと思った文章がこれ。
まずは自分の道を。わたしはこうして出来るようになるまで30年かかったよ。

あれからもう1年がたつ。

私は、震災以降、
いつか誰かの役に立てる自分であれるよう
今まで以上に、
自分ができることを
愚直にていねいにやっていこうと決め
そして、そんな毎日を繰り返して1年を過ごしてきたと思う。
やった方がいいと思うことはちゃんとやる
頑張った方がいいと思うことは頑張る。
被災地の人にダイレクトにアクションをすることはできなかったけれども
私が過ごしてきた365日は、
毎日が精一杯の365日だったと思う。

そんな精一杯の365日を
私はこれからも続けていく。いくしかない。

一年後の今日もやっぱりそう思っていることを書き留めておく。

2012年3月11日に書く
増田ゆみ

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