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ジブリとテレビ業界と書く仕事

そういえば、先日、TwitterのTLがジブリの話で盛上がっているなあと思ったら
テレビ番組でジブリ特集をやってたんですね。
私は見逃しちゃったのですが「スタジオジブリ物語」

 

もしかして、と思いましたが、
やっぱり、演出はテレビマンユニオンの浦谷さんでした。
浦谷さんはテレビマンユニオンの創設者の1人で
「もののけ姫はこうして生まれた」という6時間超えのドキュメンタリーを作られた方です。

 

私は、ライターになる前、テレビマンユニオンの社員で
浦谷さんには採用面接をしていただいたりしたので
懐かしいお名前です。
テレビマンユニオンは、すごくかわった会社で
私がいたころは200人くらいの組織でしたが

 

1)入社3年(くらい)たったら(ディレクターデビューして認められたら)、制作職の人間は一度退職をし、退職金で社内株を買い、株主になる
2)決めごとはその全員出席の株主総会で決める
3)社長も選挙で決める
4)人事部はなく、採用はその年選挙委員に立候補した人たちの裁量で決める
5)会社からは「優先契約料」が固定で払われ、それ以外に仕事をした分の出来高が上乗せされる
6)なので、他の会社の仕事をしても、(会社にマージンさえ入れれば)問題ない

 

などなどのルールがありました。

 

日本で一番古いテレビ制作会社で、
1970年にスタートした会社で、
上記のルールが定められたということは、ものすごく画期的だったように思います。

 

大学で教授をしている人がいたり
北海道にドキュメンタリーを撮りにいったまま数年音信不通の人がいたり
是枝裕和監督のように映画を撮っている人がいたり
オリンピックの開会式を演出している人がいたり
株主には萩本欽一さんや、故伊丹十三監督などがいた。
会社には小沢征爾さんがお見えになったり、
故ジャック・マイヨールさんからの電話がよくかかってきたり
ダライ・ラマと懇意にしているディレクターがいたりした。

 

なんだか、いろんな人間のるつぼでした。
変な人もスゴい人もいっぱいいて
しごくまっとうな人間だった私は、地味すぎて埋もれまくってました。

 

退職してライターになると話をしたとき、
当時副社長だった浦谷さんに言われた事は、今でもよく覚えてます。

 

「3年前の採用試験で書いた君の文章はまだ覚えているよ。テレビより書く方が向いていると思うよ」

 

そんな言葉に後押しされて
私は、ライターとしてよちよち歩み始めたのでした。
24歳のときでした。

 

あれから10年たっていま思う事は
たいして成長してないなあ。と

 

もっとごりごり書かないと。

 

久しぶりに浦谷さんのお名前を聞いて
気を引き締め直す、3月の朝。

 

最近、自分の原点について、よく考える。

 

もうすぐ春ですね。

 

 

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